ちょんな
「ちょんな」とは、木を削る大工道具として
古くから使われている手斧の事です。


<平成27年11月>

 最近テレビでは、毎日という程旭化成建材の杭データ改ざん事件が報じられています。何千万という高い買い物である住宅や事務所が、不正行為によって安全の低い建物になっていることは、怒っても怒りきれない。第一怒る怒らないとかの感情問題ではなく、物理的にどうしてくれるんだというやりきれない思いを抱えていることでしょう。その思いをさらに深めているのが、問題の根源が目に見えない地中の深くで、確認することも直すことも出来ない場所であることだと思います。何故このようなことが起こり、何故防げなかったのか。私達建設業界の、重層下請や工期・請負金額の変更の難しいことなどの諸問題が取り上げられています。10年前の耐震偽装事件を思い出します。あの時は、構造計算がその専門性故にブラックボックスのようになっていたのが原因の一つとして取り上げられ、その後構造設計1級建築士や適合性判定制度など大きな制度改革につながってゆきました。データ改ざんが次々に明るみに出る今回も、何らかの管理規定につながってゆくものと思います。今回も前回も最大の原因は、技術者としての倫理観の欠如であることを思うと、改めて襟を正さねばならなりません。

 ただ、これらの報道を見ていて気になることがあります。今回の事件とは筋違いかもわかりませんが、書かせていただきます。それはなにかというと、もの作りや様々な技術的なことには、不可知な部分があるということを忘れているように感じるのです。人知の及ばない部分があること、今の技術で届かない部分あることを忘れているように感じるのです。あたかも全てが、1+1=2のように明々白々であることが当たり前であり、またそうであらねばならない。不確かな部分などあるはずがないと断定しているように見えるのです。しかし現実には、必ずと言っていいほど見えない部分が存在します。今の技術で届かない部分があります。基本的には自然を扱っているのです。それらのことを忘れてまたは無視して断定してしまうことは、一つの奢りと思うのです。自然への謙虚さの欠如というと少し言葉使いが違うかもしれませんが、私にはそのように感じられるのです。私たちは、自然をコントロールできる。私たちに知らないことはないと思っているのではないでしょうか。私にはそれは安易な考え方だと思えます。

 たとえば地中のことはわかりません。どのような土質の土なのかわかりません。だからこそ土質調査をするわけですが、それさえ抽出です。全てを調べるわけにはいかないので、抽出によって想定せざるを得ません。しかし地形の変化の激しいところでは、数メートル違えば土質が違うこともありますが、そこは知り得ません。又杭が支持層に達するということに関しても、支持層が見えるわけではありません。まるで真っ暗闇の中を手探りで周囲の状況を調べるかのように、電流抵抗など状況証拠から判断せざるを得ないのが現状だと思います。だからこそ常に慎重に見えない部分に五感を集中して、果たしてこれで良いのかということを判断しなければなりません。出来るだけ多くの経験と知識に基づいて、判断しなければなりません。しかし、地中が見えない世界であることに何も変わりはありません。決して直接目にするなり、手にとって調べているのではありません。不確かな部分は存在するのです。だからこそ、さらなる確実性を求めて新しい技術が生まれるのです。見えない部分や不確かな部分を無視して、これで確実に大丈夫だと思ったらそこでお終いです。そこで止まってしまいます。まず見えない部分や不確かな部分があることに、謙虚であるべきだと思います。

<M.I> 

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