ちょんな
「ちょんな」とは、木を削る大工道具として
古くから使われている手斧の事です。


<平成28年5月>

 今私は、中国のカシュガルという所にいます。どこかというと、シルクロードのど真ん中というとわかりやすいかも知れません。すぐ西側はキルギス・タジキスタンという国です。タクラマカン砂漠の西の外れのオアシスが発展して、今では人口64万人の大都市。中国の他の街と同じように、規模に不似合いな程大きな街区、だだ広い道路、大きく高い建物の数々。シルクロードの小さな街というより、大都市そのものです。旧市街区域や市場の賑わいは、東京の浅草寺や築地に匹敵するほどです。しかしこちらは賑わいというより、混沌と混乱という言葉が似合います。

 庶民の足は電動スクーターです。2輪も軽3輪も電動です。凄いエコですね。家族4人が乗っているスクーターをしばしば見かけます。小さな街路では、子供が兄弟らしき子を載せていました。えっ大丈夫なの? エンジン音はない代わりにクラクションが飛び交います。車もバスも所狭しと左右の車線をドリフトして空いた所に進もうとします。街区の交わる大きな交差点以外に信号はありません。歩行者はとにかく左右に注意して自分で道路を横断するしかありません。スクーターも三輪車も4輪車も方向転換したければ、勝手に方向転換するのです。必然的にクラクションを鳴らさずには走れないのです。これは何も大きな道路に限ったことではありません。歩行者当天国かと勘違いするほど、人が溢れている繁華街でも同じです。それに店店の呼び声がそれに重なる。通行人がちょっと興味があれば、立ち止まり屋台の人と言葉を交わす。その騒ぎといったら、お祭りみたいなものです。そして、ふと見れば片隅には乞食がいる。

 そこには、東京の銀座やニューヨークの5番街のきれいさはない。ずっといると疲れるような喧噪だ。でも、歩いていて面白い。何か元気が出てくる。日本ではもうこういう喧噪を味わえるような場所が少なくなった。まして浜松では皆無ではないかな。私たちの親の世代も私たちも、きれいで格好のいい町並みを求めてきた。今ここで喧噪を行き交う人々も、混沌よりも整然、喧噪よりも静溢を求めるだろう。現に至る所で行われている建設は、立派な建物、整然とした街区だ。でもこの整理されていず、分業化が進んでいない状態が醸し出すエネルギーは、お腹に直接入ってくる感じだ。どんな人でもどこの国でも、人は生活をする。その生活する、つまり生きようとする力の集合とその絡み合いが、私の命をざわつかせる。ああ、皆生きてるんだな。生活してるんだなあ、と実感する。

 この写真のように路上で仕事している。左では、恐らくシシカカブのような串焼きの屋台を溶接して作っている。右の写真は見た通り、薄板を木槌で叩いてお鍋を作っている。

<M.I> 

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