最新号 2024年11月
石垣好きの城巡り
今回は、石垣の技術や美しさが素晴らしく石垣のミュージアムと呼ばれている金沢城を紹介したいと思います。
金沢城は皆さんご存じの利家とまつの加賀前田家100万石の居城です。
金沢城の石垣は、戦国時代の1592年から江戸時代を経て幕末までの270年余りの歳月をかけ築き上げられた、多様な石垣が見られる石垣の名城です。そんな金沢城についての石垣とその背景について書いてみたいと思います。
大大名加賀藩の苦労と工夫と美的センスが詰まった見ていて飽きない今の金沢城に残る石垣は、前田利家の時代のものはほとんどなく前田家歴代藩主がメンテナンスと改築を行い今に至っています。いつも感じる戦のための城の武骨さや、色彩が暗く石肌が割肌であったりと丈夫であれば見た目はお構いなしの石垣が多い中で、戦うための城と思えない近代建築の一角のような感じさえする石垣です。
この石垣の普請は穴太流を継承しつつ独自の技を作り上げた技術集団が色彩豊かな石選びから丁寧な加工技術を駆使して作り上げたものではないかと思います。場所場所の石垣のすばらしさを上げればきりがありませんが、その中でも石川門枡形虎口に見る石垣積み技法は門を入り正面に見られる一分の隙もないほどびっしりと組まれた切込みハギの石垣で、門の隅角部を積み上げる算木積みは特に大きな石を長方形に加工した完成度の高い石積みとなっています。ここは通用門でありながら加工石を使い分け、何より見事なのが色彩を考慮した見せるための城門となっている事です。威圧感を出さず迎賓館のような雰囲気があり城のイメージが大きく変わります。
城内には玉泉院庭園、掘割を挟み有名な兼六園があり城内での戦いを意識させない雰囲気作りを十分すぎるくらいしていることも見て取れますがこれも徳川家を意識しての事ではないかと思われます。
また櫓や30間長屋の白漆喰のなまこ壁など見せる工夫も随所にあり芸術作品となっています。ただ優美で戦うそぶりを前面に出してはいませんが、漆喰壁に狭間を隠してあったり内側に小石を詰めた防弾壁としたり屋根瓦は鉛葺きにして鉄砲玉に転用できるように工夫しているなど備えとしても十分に考えられています。
加賀100万石は徳川に次ぐナンバー2の座にあり常に中央に警戒監視されていた歴史があり、代々いざと言う時に備えた町づくりと警戒心を解くために歴代藩主は文化政策に力を入れ、それが見せる石垣にも表れているのかなと思いました。
利家とまつに戻りますが豊臣・徳川の調整役やキリシタン大名の高山右近を受け入れるなど偏見の無さや多様な価値観を認める雰囲気が代々受け継がれ、その精神が独特の文化芸術に繋がり、また政治的な背景もあって他とは違う洗練された文化都市を作り上げたのではないかと思います。
またここでは紙面が無くなってしまいましたが日本の土木史に残る大用水工事『辰巳用水』が建設されています。これは3.3キロメートルの導水トンネルを掘り城内は導水石菅を埋設し、逆サイホン方式で城内に揚水したもので今から400年前に創られたと思うと、優れた土木技術に唯々感心するばかりです。
石川門(内桝形門、重要文化財)
配色も考えた切込みハギの石積
<T.K>