2022年1月
石好き、山好き、古いもの好きが、20年ほど前に仕事で訪れ知った青崩峠への塩の道に久しぶりに行ってみました。
青崩峠 | 石畳の古道 |
青崩峠は標高1082mあり、遠州と信州を行き来する峠道であり、塩の道、織工(女工)の道、秋葉信仰の道、として利用され、また武田軍が、三方が原の合戦のさいに兵が越えてくるなどの歴史的な要衝路であり、江戸の頃は日々40〜50人が通行していた道でもあると言われています。はないかと思っていましたが、塩の道古道入り口には、7〜8台の車が駐車していて、入山者がかなりいました。ここから峠までは、石の階段、石畳の小道がつづきよく整備されていますが、観光用ではなく整備時期はいつ頃か分かりませんが、古い構造物であることは確かです。杉木立の中の道で途中には信玄の腰掛岩や、茶や屋敷跡などもあり、歴史を感じさせる場所もいくつかあります。また古道に沿って沢がありどの沢も12月だと言うのに緑濃い苔が生えていて破砕帯に関係がある為に、水が豊富なのか、苔むしている道を歩くだけでも気持ちが良くなります。石畳の道は20分足らずですが、名のある武将も歩いたかもしれない場所に自分が今いると思うと、いろいろ想像して不思議な気分になります。
また今回は、木々が落葉して見通しがよく青崩れの名前の由来となった、青白く崩壊した北斜面がよくわかり、なるほどと納得しました。山肌を見てみると岩ではなく青白い粘土のように見え、中央構造線の断層運動と熱水によって変質しながら形成された地層である事がわかりました。峠の信州側は霜柱がありましたが、南側水窪側はぽかぽか陽気でもあり峠は北から南に冷たい風が吹き抜けてもいました。 それと、もう一つ付け加えたいことがあります。それはあまりの崩落の激しさに、日本のトンネル技術が敗退(経済的な施工が)とまでツーリングマップルの地図情報に記載されていましたが、今は2023年完成の工期で青崩トンネルの工事が着々と進行中であり点線国道が信州とつながるまであと少しとなっています。 |
また今回は、木々が落葉して見通しがよく青崩れの名前の由来となった、青白く崩壊した北斜面がよくわかり、なるほどと納得しました。山肌を見てみると岩ではなく青白い粘土のように見え、中央構造線の断層運動と熱水によって変質しながら形成された地層である事がわかりました。峠の信州側は霜柱がありましたが、南側水窪側はぽかぽか陽気でもあり峠は北から南に冷たい風が吹き抜けてもいました。
それと、もう一つ付け加えたいことがあります。それはあまりの崩落の激しさに、日本のトンネル技術が敗退(経済的な施工が)とまでツーリングマップルの地図情報に記載されていましたが、今は2023年完成の工期で青崩トンネルの工事が着々と進行中であり点線国道が信州とつながるまであと少しとなっています。
それと、もう一つ付け加えたいことがあります。それはあまりの崩落の激しさに、日本のトンネル技術が敗退(経済的な施工が)とまでツーリングマップルの地図情報に記載されていましたが、今は2023年完成の工期で青崩トンネルの工事が着々と進行中であり点線国道が信州とつながるまであと少しとなっています。
信玄の腰掛岩 苔むした沢
青崩れの山肌 三遠南信道路 青崩れトンネル
< T.K >